陶芸家生活のことばの書
和文化・日本の陶芸
陶芸とことばの書、苦しみと悲しみと誠と
独学にて陶芸の研究に入ること36年。
陶芸作品を作る中で、想うことを言葉の書とし、
書体と色で表現しています。
苦しみに会って 自分に耐え
悲しみに会って 定めを知り
誠に会って 心を洗う
・ことばの書の一覧
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陶芸作品を作る中で、想うことを言葉の書とし、
書体と色で表現しています。
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akaitouki at 16:55|Permalink│Comments(0)│
和文化・日本の陶芸
陶芸とことばの書、一つの笑顔で世の中明るく
赤いぐい呑みや抹茶茶碗など、
陶芸作品を作陶している毎日の中で、
心に想うことを書き留め、
ことばの書として表現しています。
百回 千回 叫んでみても
世の中なんにも 変わらない
一つの笑顔
一つ世の中 明るくさせる
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陶芸作品を作陶している毎日の中で、
心に想うことを書き留め、
ことばの書として表現しています。
百回 千回 叫んでみても
世の中なんにも 変わらない
一つの笑顔
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和文化・日本の陶芸
陶芸とことばの書、幸せつかむ
陶芸作品の作陶生活の中で、
心に想うことを書き留め、
ことばの書として表現しています。
患って知る
健康の尊さ
失って知る
人生のいろいろ
人は苦しんだ分だけ
幸せつかむ
がんばろう、日本。
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心に想うことを書き留め、
ことばの書として表現しています。
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健康の尊さ
失って知る
人生のいろいろ
人は苦しんだ分だけ
幸せつかむ
がんばろう、日本。
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和文化・日本の陶芸
陶芸とことばの書、花は咲く
鮮やかな赤い抹茶茶碗やぐい呑みを作る陶芸家生活ですが、
作陶の過程の中で湧きあがる想いを詩に描きとめ、
ことばの書としています。
寒暖の激しい昨今ですが、庭の草花は芽吹き、
日に日に大きくなり、たくましさを感じています。
まねることなく
ねたむことなく
花は咲く
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作陶の過程の中で湧きあがる想いを詩に描きとめ、
ことばの書としています。
寒暖の激しい昨今ですが、庭の草花は芽吹き、
日に日に大きくなり、たくましさを感じています。
まねることなく
ねたむことなく
花は咲く
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和文化・日本の陶芸
陶芸とことばの書、今が一番若いとき
新しい年が明け、また1年夢を追い求め、
赤い抹茶茶碗やぐい呑みの作品を作る陶芸家生活。
陶芸作品を作る日々の中で、
込み上げてくる想いを言葉の書として、
文字の形と色で表現しています。
人生は
いつもこれからが始まり
見たいものがいっぱい
会いたいものがいっぱい
今が一番若いとき
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赤い抹茶茶碗やぐい呑みの作品を作る陶芸家生活。
陶芸作品を作る日々の中で、
込み上げてくる想いを言葉の書として、
文字の形と色で表現しています。
人生は
いつもこれからが始まり
見たいものがいっぱい
会いたいものがいっぱい
今が一番若いとき
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和文化・日本の陶芸
陶芸と、魂のふる里想うことばの書
赤い抹茶茶碗やぐい呑みなどの
陶芸作品を作りながら、
陶芸家生活の中での想いを
ことばの書として表現します。
子は母からいのちをもらい
おっぱいに吸いつき
肌のぬくもりを感じながら育つ
その子が一生を通じて
最後まで忘れることの出来ない
魂のふる里
それが母
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陶芸作品を作りながら、
陶芸家生活の中での想いを
ことばの書として表現します。
子は母からいのちをもらい
おっぱいに吸いつき
肌のぬくもりを感じながら育つ
その子が一生を通じて
最後まで忘れることの出来ない
魂のふる里
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和文化・日本の陶芸
陶芸とことばの書、美は心が食べる最高の料理
赤を基本とし、一種類の釉薬でありながら
赤からいろいろな色へ変化するという
世にも不思議な陶芸作品を作陶しています。
赤い抹茶茶碗やぐい呑みの作品が中心ですが、
赤の美しさに、はっとさせられます。
もの金は
人間が使うもの
心は人間を
支配するもの
腹の足しには
ならないけれど
美は心が食べる
最高の料理
陶芸家生活の中で浮かぶ想いを、
”ことばの書”として
書き留めています。
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赤からいろいろな色へ変化するという
世にも不思議な陶芸作品を作陶しています。
赤い抹茶茶碗やぐい呑みの作品が中心ですが、
赤の美しさに、はっとさせられます。
もの金は
人間が使うもの
心は人間を
支配するもの
腹の足しには
ならないけれど
美は心が食べる
最高の料理
陶芸家生活の中で浮かぶ想いを、
”ことばの書”として
書き留めています。
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和文化・日本の陶芸
陶芸と、定めに想うことばの書
陶芸家として、
赤いぐい呑みと抹茶茶碗を中心の作陶する毎日ですが、
陶芸作品づくりの陶芸家生活の中で、
込み上げてくる想いを詩に書き留めて、
「ことばの書」としています。
のがれられない
定めに泣いて、
流す涙に
慰められ、
未練の鎖を
解かしてもらう
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赤いぐい呑みと抹茶茶碗を中心の作陶する毎日ですが、
陶芸作品づくりの陶芸家生活の中で、
込み上げてくる想いを詩に書き留めて、
「ことばの書」としています。
のがれられない
定めに泣いて、
流す涙に
慰められ、
未練の鎖を
解かしてもらう
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和文化・日本の陶芸
陶芸と、いつも限りと思いて歩む、この道
陶芸家として、
赤い抹茶茶碗と赤いぐい呑みを作っています。
陶芸作品をつくる中で、いろいろな想いが込み上げ
その気持ちを、ことばの書として表現しています。
二度と返りくることのない今日
二度と戻りくることのない若さ
いつか人は去り、身は老い
皆、時間の中で昇華されてゆく
だから
いつも限りと思いて歩む
今日この道
一日、いち日を、大切に生きたいものです。
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赤い抹茶茶碗と赤いぐい呑みを作っています。
陶芸作品をつくる中で、いろいろな想いが込み上げ
その気持ちを、ことばの書として表現しています。
二度と返りくることのない今日
二度と戻りくることのない若さ
いつか人は去り、身は老い
皆、時間の中で昇華されてゆく
だから
いつも限りと思いて歩む
今日この道
一日、いち日を、大切に生きたいものです。
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akaitouki at 22:12|Permalink│Comments(0)│
和文化・日本の陶芸
陶芸と、花になごむことばの書
赤いぐい呑みと抹茶茶碗の
陶芸作品づくりの生活の中で、
込み上げてくる思いを、ことばの書として
ことばとともに、文字のかたちや色で
書き留めています。
どこで咲いても、
花は
万人にほほえむ
花を見ると、
なんとも心がなごみます。
花から感じた印象を、
陶芸作品に表現することもあります。
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陶芸作品づくりの生活の中で、
込み上げてくる思いを、ことばの書として
ことばとともに、文字のかたちや色で
書き留めています。
どこで咲いても、
花は
万人にほほえむ
花を見ると、
なんとも心がなごみます。
花から感じた印象を、
陶芸作品に表現することもあります。
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和文化・日本の陶芸
陶芸と、いのちの誕生のことばの書
陶芸家生活も三十数年。
生活も時代時代に様々に変化して、それでも
その繋がった先に今がある。
赤いぐい呑みと抹茶茶碗を主に作陶していますが、
陶芸作品づくりの生活の中で、
いろんな思いが込み上げて詩ができます。
そんな詩を書き留めて、ことばの書としています。
いのちとは
生きてのちまで
生きるもの
子が生まれた
いのちが生まれた
希望が生まれた
孫が生まれた
たからが生まれた
未来が生まれた
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生活も時代時代に様々に変化して、それでも
その繋がった先に今がある。
赤いぐい呑みと抹茶茶碗を主に作陶していますが、
陶芸作品づくりの生活の中で、
いろんな思いが込み上げて詩ができます。
そんな詩を書き留めて、ことばの書としています。
いのちとは
生きてのちまで
生きるもの
子が生まれた
いのちが生まれた
希望が生まれた
孫が生まれた
たからが生まれた
未来が生まれた
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和文化・日本の陶芸
陶芸と夫婦の絆のことばの書
赤いぐい呑みや赤い抹茶茶碗の作陶を日常としていますが、
陶芸作品づくりの思考過程で詩ができます。
そんな詩を書き留め、ことばの書としています。
男42歳で会社をやめ、
一人籠って陶芸を始めたが、
もがき続けること幾年月。
妻の支えがあって、
いま、こうして居られることに、
じっと手を合わせます。
弱い人間同士だけど
二つのいのち
重ね合い
苦労をはじく
ばねとする
夫婦は互いに見つけ合った
もうひとりの自分です。
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陶芸作品づくりの思考過程で詩ができます。
そんな詩を書き留め、ことばの書としています。
男42歳で会社をやめ、
一人籠って陶芸を始めたが、
もがき続けること幾年月。
妻の支えがあって、
いま、こうして居られることに、
じっと手を合わせます。
弱い人間同士だけど
二つのいのち
重ね合い
苦労をはじく
ばねとする
夫婦は互いに見つけ合った
もうひとりの自分です。
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akaitouki at 23:02|Permalink│Comments(0)│
和文化・日本の陶芸
陶芸と小さな喜びのことばの書
赤いぐい呑みと抹茶茶碗の陶芸家生活も、はや三十余年。
子は親元を離れ、気づいてみれば、また夫婦二人の生活。
赤いぐい呑みや赤い抹茶茶碗の作陶を日常としていますが、
陶芸作品づくりの思考過程で詩ができます。
そんな詩を書き留め、ことばの書としています。
大きな喜びこそないけれど、
小さな喜びを、ひとつひとつ重ね合わせて、
生きています。
小さな喜びを、
拾い集めて、
二人歩く
陶芸でも、絵画でも、書でも、
表現する方法は違いますが、
伝えたいものは同じです。
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子は親元を離れ、気づいてみれば、また夫婦二人の生活。
赤いぐい呑みや赤い抹茶茶碗の作陶を日常としていますが、
陶芸作品づくりの思考過程で詩ができます。
そんな詩を書き留め、ことばの書としています。
大きな喜びこそないけれど、
小さな喜びを、ひとつひとつ重ね合わせて、
生きています。
小さな喜びを、
拾い集めて、
二人歩く
陶芸でも、絵画でも、書でも、
表現する方法は違いますが、
伝えたいものは同じです。
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和文化・日本の陶芸
やきものに、心安らぐのは
赤いぐい呑みや赤い抹茶茶碗をはじめ、
陶芸作品の制作を日常としていますが、
その作品の内容を追及していく時に、
自分自身の生活態度と切り離すことが出来なく、
その思考過程で詩が出来ます。
陶芸は、
燃え尽くし、焼き尽くした
その後に
土の華が咲く
やきものに心安らぐのは
その華のせいかも
陶芸でも、絵画でも、書でも、
表現する方法は違いますが、
伝えたいものは同じです。
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陶芸作品の制作を日常としていますが、
その作品の内容を追及していく時に、
自分自身の生活態度と切り離すことが出来なく、
その思考過程で詩が出来ます。
陶芸は、
燃え尽くし、焼き尽くした
その後に
土の華が咲く
やきものに心安らぐのは
その華のせいかも
陶芸でも、絵画でも、書でも、
表現する方法は違いますが、
伝えたいものは同じです。
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